2009年3月15日日曜日

無痛治療ってホントかな?を再掲載

以下の文章は以前メインホームページにアップされていたっものですが、2年ほど前にデザインを新しくしたのを機に削除したものです。過日再掲載の依頼がありましたので、まずはこちらにアップしました。けっこうな長文ですが、読み応えがあると思います。無痛治療なんて、よく言えますね。私には言えません。

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無痛治療ってホントかな?
〜痛みを和らげる、私達の挑戦〜

東京ディズニーランドの中に歯科医院がある事をご存知だろうか? その名を"Painless Dentist"つまり「痛くない歯医者」といい、Dr.I Teetheさんという方がやっておられるとか。場所は入り口のワールドバザールからビッグサンダーマウンテンに行く途中のウェスタンランドにあったと思う。痛くないのだから歯医者嫌いでなくとも是非訪れたいものであるが、残念なことにそれはもちろん架空の歯科医院である。

「先生の治療はうまいかもしれんが、それにしても痛いな」と言われたのは私がまだ銀座で勤務医をしていたころ、とある地方企業の社長さんの弁である。当時の私は歯周外科の研修を一通り終え、多くの患者さんに対し得意になってメスを振るっていた(!?)ように思う。週に4~5件の手術を、また大学でなくてはやらないような完全に骨の中に埋まっている親知らずの抜歯も含めるとそうとうな数をこなしていた。しかしそこには若かったがゆえ自己の技術に溺れ、患者さんの事をあまり深く考えていなかった私がいたことを認めなくてはならない。そんな私に貴重な忠告を与えてくれた社長さんがいなければ今日の私の診療スタイルはなかっただろう。



とはいうものの治療効果を狙う以上、患者さんにはある程度の我慢はしてもらわなくてはならない。針をさすのだから麻酔注射は痛くてあたりまえ、麻酔が効いてしまえば術中はもちろん痛くはないが問題はその麻酔が切れた後、すなわち術後疼痛だ。それはそうだ、歯茎を切り、それを骨から剥がし、骨を削り、歯を抜き、縫い、または神経をとり、聞いただけで身の毛もよだつ恐るべき残酷物語が歯科医院では日常的に展開されている。痛くないほうがよほどおかしい。

過去、歯科治療で痛い目にあった人はなかなか次の治療に向かうのが難しい。初診の時に「私、痛いのダメなんです...」とおっしゃる方は男女を問わずたいへん多い。また子供のころのトラウマをひきずる大人は後を絶たない。そんな方のために歯科医院はなんの努力もしていないかと言えばもちろんそんなことはない。例えば「表面麻酔」という塗り薬がある。注射の前にこれを塗っておけば痛みがなく注射が完了するという夢のような薬!...ではもちろんない。注射針が歯肉を刺す瞬間の痛みだけが減少するのだが完全に効くわけではなく、麻酔液を注入するときの組織破壊に伴う痛みは変わらない。が、無いより有ったほうがよい。

麻酔の打ち方にもいろいろ工夫がある。例えば麻酔液の注入をゆっくりやったらどうだろう。先に入った薬液が浸みわたり、後から入る麻酔に多くの痛みは生じない。歯茎ではなく歯と骨の間の歯根膜と呼ばれる所に打つ方法もある。

「笑気ガス」という吸入麻酔もある。鼻にマスクを装着し、亜酸化窒素と酸素の混合気を吸入するのだが、いわゆる全身麻酔ではない。吸うと5分くらいで酒に酔ったような感覚になり、痛みを感じなくなるわけではないのだが痛くても「ハハハ、まぁいいか~」という感覚になる。酒に酔って転んでけがをしても気が付かないのと同様である。朝起きたら血だらけだったという話しは学生の頃良く聞いたものだが。しかし本法は歯科医師であればだれもが知っている方法でありながら普及率はいがいに低い。理由はその煩雑さと赤字覚悟の採算性の悪さだが、それ以外にも鼻マスクが手術の障害となる場合があることも大きい。

また、かなり特殊な方法だが静脈内鎮静法という点滴によるものもあるが麻酔の専門医がついていなくては難しい。

「痛いし恐いから全身麻酔でやりたいのですが...」と本当に希望する方もたくさんおられる。しかし全身麻酔が痛くないかといえばぜんぜん違い、術前に注射もあるし麻酔から覚醒するときの気持悪さは受けたことのある方でなければわからないものだそうだ。口の中を扱う歯科・口腔外科ではマスクによる麻酔吸入はできず気管内挿管と呼ばれ鼻からのどを経由して気管にチューブを入れ麻酔ガスを導入する。したがって麻酔後に気管が腫れ呼吸困難が起こることもあり安全のため入院が必要な場合もある。難しいインプラント手術など90分以上かかる手術でなければ全身麻酔は必要ない。

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以上が大学や一般歯科医院で行われる鎮痛テクニックの概略だが、いずれもかんじんな術後疼痛の緩和の決め手になるものではない。ただ鎮痛剤に頼るのみである。こんなに痛みを伴うのはやはり歯科疾患の特殊性と多発性によるものだが、その中でも歯周囲の構造と歯科麻酔液の特殊性による所が大きい。

例えば虫歯の時だが、歯が痛いんだから歯に注射をすれば...とはいえ歯は硬くて歯がたたない、ではなく針がささらない。歯茎経由で麻酔を歯の神経に効かせるのだが注入した量の僅かしか届かない。これが頬や鼻まで麻酔が廻ってしまう理由なのだがこれはもうしかたがない。この時ただ歯茎に注射すればいいかというと必ずしもそうではなく、下の奥歯など骨がとても厚く硬い場合は骨膜という所を貫通して直接骨に針を当て(!!)強圧で注入しなくてはならない。したがって歯科用の注射器はまるで握力計のような構造をしており、麻酔液は強圧に耐えられるようカートリッジに封入されている。

また一般的な歯科用麻酔液は1/80000と極微量だが血管収縮剤が入っている。これにより血流が減少し麻酔液の滞留性がよくなり、少量の薬液で有効な持続時間が実現する。もしこれがなければ大量の麻酔薬が必要でたちまち許容量をオーバーし治療は不可能だし、手術は出血が多くて何も見えなくなってしまう。だが問題がないわけではない。血流が減少するとは、手術による損傷から組織が直ちに修復行程に入れない事を意味する。そればかりか炎症を起こさせる物質が蓄積する一方である。実は痛みの原因はここにもあり、我々は避けようのない交換条件を飲む以外に術はない。

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さてここまでさんざん重苦しい話しで申し訳なかったのだが、最新医療技術を持ってしても手術後の痛みを抑えることはなかなか難しい事が少しご理解いただけたのではないかと思う。では我々の取り組みはどうであろう? 手前味噌だがご紹介したい。キーワードは治療技術・鍼・レーザー・そして笑顔である。

治療技術とは読んでそのままだがこれが何の関係があるかといえば、要するに無駄な事はせずに短時間で終わらせるという手術の基本である。例えば歯茎の手術で無駄な切開や剥離をすれば痛みや腫れは増える。逆に必要な切開を行わなければ手術部位が良く見えなく結果時間がかたり、また不要に粘膜を引っ張ってしまうだろう。また感染の危険も増す。要するにうまくて早ければ痛くないわけだ。

外科の世界ではatraumatic(アトラウマチック=非侵襲的)という言葉が古くから使われておりこれが出来きる外科医が名医であるわけだ。歯科でも同様なはずだが、なぜか使われていないばかりか意識する人がどれほどおられるかも疑問だ。またatraumaticを実現するには優れた医療技術を持った医師の存在だけでなくチームワークが重要になるが、さて吉田歯科診療室はどうであろう。70点はいただけるとは思うが名医と呼ばれるほど優れてはいないだろう。

そこで鍼(針)の登場である。鍼麻酔という言葉が前々から気になっていた私に前出の社長さんの一言が東洋医学の道へと誘った。当時通っていたスポーツクラブの担当インストラクターが鍼灸師であった事もありその後ずいぶんいろんな方の鍼の打ち方を見せていただいたが、その打ち方はまさに千差万別で自分のスタイルをある程度造るのに苦労はしたがその効果は驚くべきものだ。鍼麻酔がセンセーショナルに伝えられたのは1970年頃であるが、鍼だけで大手術をこなすというたいへんな事であった。ただし成功率は以外に低かったと聞くが術後の痛みはなく、傷の治りも驚くほど早く患者さんは数日後には歩きだしたという。

この技術を歯科でもということで多くの先人が並々ならぬ努力で研鑽を積み重ねてきたのだが、ごく簡単な抜歯ならともかくとても従来法(薬液による麻酔)にとって変わるものではなかった。しかしその除痛効果は確かにあり、例えば合谷と呼ばれる手のツボに鍼を適用することにより歯科治療の6割はなんらかの除痛効果が見られる。また短時間の手術であれば麻酔の使用料を半分程度にまで減らせる場合があり、これは前述の血管収縮剤を減らすことにもなり治りや痛みを減らす有効な手段となる。

他にも有効なツボは数多く、まさに温故知新で願ったりかなったりだ。しかし鍼にも問題はある。顔への適用が難しいことだ。できるにはできるのだがやはりちょっと痛い(実は手足はまず痛くない)。また鍼の存在自体が手術の障害になることがあるし、内出血の心配もある。

そんな悩みにレーザーは期待以上の効果をもたらす。レーザーを極めて微量に照射すると治癒促進作用と軽度麻酔作用があることは古くから知られている。我々はまず単純に手術部位にこれを適用するのだが、これだけで実は前述の表面麻酔以上の効果がある。

レーザーは表面だけではなく深部まで効果があるのがその理由だが、これによりいつ麻酔が入ったのかわからない人もいる程だ。このレーザーを鍼の変わりに使う事もできる。私はレーザー鍼という言葉は好まないのだがイメージとしては間違っていない。内出血や痛みの心配が全くないため顔面のツボに最適だ。

私達の診療ではもはや鍼とレーザーの応用はかかせないものとなってしまった。この方法でずいぶん多くの手術を行ってきたが約3割の方は術後も痛みは全く生じなかった。また6割の方から痛みはあったがたいしたことはないという評価をいただいた。

残念ながら1割程の方からはご評価いただけなかったのだが、もし本法を用いなければ痛みはもっとあったのではないかと推察する。しかしこの鍼とレーザー療法を成功させるためには1つ条件がある。緊張しているとだめなのだ。

決め手は診療室の雰囲気である。豪華な内装や過剰なサービスの事ではない。そこで働く者の患者さんに対する心と表現力の事だ。それはそのまま「笑顔」と言い換えてよいと思う。それだけが患者さんのより所である。

もちろん我々は神でも天使でもないが、笑顔だけは神にも天使にも近づけるはずである。そして鍼もレーザーも笑顔のない緊張感いっぱいの張りつめた雰囲気では効果は少ない。緊張すればそれだけ痛みは感じやすく、筋肉はひきつり手術後の疲れはそうとうなものだ。このような事で歯医者は痛いものと思われたらその人の一生の口腔衛生のモチベーションは下がったままだろう。

緊張を取るためのツボはもちろん存在する。私は風池と呼ばれるツボを好んで用いるが、人の心を解きほぐすほどの鍼の技術は持ちあわせていない。今更だが手術以前の基本がここに凝集されている。笑う門に福来るとはまさにそうで、実は私達が患者さんの笑顔に救われることもある。お互いの信頼関係がなければ治療技術など無意味なものだ。

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医療技術の進歩は麻酔技術の進歩のおかげであるという話しを聞いたことがある。手術で命を救われた私を含む数多くの人々はもとより、歯科治療は麻酔なしでは考えられない。しかしその反面、医療従事者は麻酔により生体をあたかも物を扱うかのような錯覚に陥る。こと歯科に関しては治してやってるのだから痛いのは当たり前という驕りはなかったか? 反省しきりである。

実際に無痛はありえない。しかし「無痛治療」と称しあたかも全く痛みがないような治療を実践しているような施設は存在する。例えばレーザーを無痛治療の主軸に据える所は多いがそれはメーカーの誘い文句に騙された被害者で、過去に無痛を謳っていた業者も最近では「無痛を心がける方のために」とか「無痛に最も近い」とトーンダウンしている。

もちろんレーザー治療は従来法に比べて痛みはずいぶん少ないが決して無痛を保証するものではない。最も重要なのは「痛くても許してあげる・がまんしよう」というやる気を引きだし治療に積極的に参加できるような環境を患者さんとともに創ることだろう。これさえできれば治療は半分終わったようなものだ。しかし実際治療が完了しメンテナンスに移行できる人は案外少ない事を考えると私達がやらなくてはならないことはまだまだたくさんあるのだなと思うのです。


※ 本稿は2002年6月27日より行われた世界レーザー治療学会(WALT2002)にて歯科における痛みに関するワークショップを担当させていただいた事を期に、あらためて感じたことを記させていただきました。一介の開業医にチャンスを与え、大会を運営してくださった多くの方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

(平成14年6月28日 エポカルつくば にて)